久しぶりに更新 幼稚園時代のことなど

幼稚園に晴れて入園!

幼稚園に年少で入園しました。今から思うとたった3歳なのに無理して行かなくても

よかったんじゃ?なんて思います。

でも住んでいる地域が激戦区だったので3歳から、しかもプレ幼稚園から入れないともうどこにも入れない勢いだったのですよね。

 

晴れて入園したのはマンモス幼稚園。送迎バスは3台を駆使、給食は園内の給食室で作られ、園が終わってからも夕方まで預かってくれるシステムもありました。

1クラス25人くらい×4クラス。これが3学年あるので、幼稚園としては大きい方です。

8時45分に送って2時にお迎えにいく、というサイクルでした。うちは近かったので送迎バスは使わなかったのです。

とにかくたくさん園児がいて、騒がしい子からおとなしい子まで当然いたので、なんだか変わってる息子もそれほど目立たずでなかなか良い選択だったと今も思っています。

 

クラス全員の名前と誕生日を一発で覚えてきた

幼稚園楽しい?と聞けば「うん楽しいよ」と答え、迎えに行けば確かにまあ楽しそうに見える。うちの小僧って変わってると思ったけど、なんとかなるんだなあーとホッとしました。

迎えに行った帰りは2人で幼稚園の近くを流れる小さな川をよく眺めたものです。その川は鴨が泳いでいたり、鯉が見えたりとなかなか良い雰囲気でした。

ある日その川を眺めながら

「〇〇君と遊んだよ」としゃべる息子。

「〇〇君って友達できたんだーよかったね!」

「〇〇くんはお誕生日が4月14日だよ」

「へーそうなんだ(お誕生会があったのかな?)」

「△ちゃんは8月6日だよ」

「おお?」

聞けばクラスの子達全員の名前と誕生日を覚えているではないですか(^_^;)

どうやら教室に先生がみんなの名前とお誕生日を書いて貼ったらしいのです。

 

その話を聞いたおばあちゃんなんかは息子のこと賢いなあなんて感心していたけれど(おばあちゃんはそういうもの、ですよね)

覚えすぎじゃないかなあ・・・と私は不安に思うのでした。

年齢にふさわしくない行動や言動、これが不安の理由なのでした。

 

電車のことならまかしておけ?

そして電車好きも拍車がかかります。

 

近くを走る私鉄を見に連れていく➡︎家ですぐに絵に描く!絵は下手だけれどロゴのマークや窓の位置、ドアの形など細部を正確に再現する。

電車の音を聞いただけでなんの電車かわかる。東急なら3000系、とか。パソコンで電車が走る音を聞かせるととっても喜びました。

もちろんあらゆる電車の名前を覚えていました。

 

本屋では鉄道の本を欲しがりました。機関車トーマスも好きでしたが息子が好きなのは「鉄道ジャーナル」など本格的な鉄道雑誌や時刻表でした。

いつまでも眺めているのである日「鉄道ジャーナル」を買ってあげました。自分で持つと言って大喜びで帰りました。

すると夫が「こんなの買って読ませたら本格的なオタクになる」と非難してきました。

息子がこんなに喜んでいるのに、この人は何言ってるんだと悲しくなったことを今も思えています。

 

マニアっぷりが炸裂しだしたという感じの幼稚園スタートでした。

プレ幼稚園や保育園開放に出かけるー結構平和な日々ー

つい滞ってしまいました。

自分のことを書くブログならまあなんとかなるけれど子供のことを書くのはなかなか労力が要ります。

 

さて、幼稚園選びの話。

なんだかうちの子は変なのではという疑問を持ちつつも、3歳になったら幼稚園に入れようと考えていました。

 

私の住むところは幼稚園も保育園も激戦区で、幼稚園に3歳から入れたければ2歳から活動しなくてはいけないのです。

ということを砂場で子どもを遊ばせている時にママさんから教えてもらいました。

 

いやびっくりぎょうてん。

少人数のシュタイナー幼稚園にするかマンモス幼稚園にするか早く決めなくてはいけません。

見学してみてマンモス幼稚園で大人数の子供たちが遊んでいる姿に惹かれました。

シュタイナーも魅力的でしたが直感で向いていない気がしたのです。なんとなく敷居が高い、というのでしょうかね。

 

マンモス幼稚園のいいところは、給食を幼稚園で作ってくれるところ。

給食センターで用意する園が多いなか良心的だと思いました。

さらに月一でお弁当の日があり、近場で軽い遠足をしてくれるのも良さそうだと思いました。

 

先生は若い先生もたくさんいるし、ベテラン先生もいてバランスがとれている印象でした。

 

プレ幼稚園の教室は週に一度ほどでした。

先生の指導のもと、みんなで踊ったり歌ったり。あとは椅子に座って絵を描いたり簡単な工作をしたりという時間もありました。

もちろん外遊びの時間もあり、ほとんどの子が走り回っていましたが息子は当然走り回らず砂場でもくもくと1人遊びをしていました。

どちらかというと椅子に座って輪っかに穴の空いたおはじきを通す遊びや、電車の絵を描くことが楽しいようでした。

 

2歳児なので、ほとんどの子が騒ぐか泣いているかどこかへ行っちゃうかなので、マニアックな感じの息子はむしろ目立たず、「おとなしくていい子」といわれまくり何度なくホッとしていました。

 

でもおとなしくていい子って実は結構曲者で、要は他の子とあまり騒いで遊ばないということ。他の子に興味がないということなのです。このことには当時は気づかず、うちの子はいい子なんだ、よかったーなんて思っていたのです。

実際あまりに暴れる子は入園を断られた、という話もあり胸をなでおろしていました。

 

同年代の子とはあまり遊びませんでしたが、先生とはよく遊んでいました。大人と遊ぶ方が楽なのです。

なんだかんだ言ってベテラン先生よりも、若い、そしてかわいい先生を好んでいました。とても正直です!笑

 

また住んでいる地域では子育ての支援として、保育園開放がありました。

その保育園に通っていなくても、子どもを遊ばせることができるのです。

市の広報誌に保育園開放の予定がでるので、チェックしては出かけました。

外で遊ばせる、よその子と遊ばせる、ということになぜか必死になっていたのです。

そして私自身も誰かと話したかったのだと思います。

 

プレ幼稚園はきっちりしたプログラムのもと管理するという印象でしたが、保育園開放は自由度が高くて勝手に外で遊べー!ちゃんとみてるから!という印象でした。

暴れる子もおとなしい子もどんと来い、という感じでした。

保育園の方がよかったかも?と正直思いましたが入るのは相当難関で待機児童もかなり多く、諦めざるを得ませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

乳幼児の頃③突如堰を切ったようにしゃべり出す。

突如文章をしゃべり出す!

 

1歳半検診で、全く喋らなかったのがある日突然しゃべり出すようになったのです。

「電車くるよー」とか「これおいしいね〜」のような文章になっていました。

いやーホッとしました本当に。

おふとんのことはずっと「おとふん」って言ってたけど。

 

そして2歳になるころちゃんと市の保健婦さんから電話がかかってきて、様子はどうですか?と聞かれました。

「よくしゃべるようになりました!」と伝えたら

「あーよかったですねえ」ととても喜んでくれた覚えがあります。

 

なんだかおとなしい子になっていた

 

泣きわめくこともなく、夜もまあよく寝るのであまり手がかからない、

しゃべるようになったらクレーン現象もなくなってきたような、そんな感じでこのころは結構平和だった気がします。

そしてこれまた全然歩かなかったのがいきなりスタスタ歩き出したりして「あああよかったあ!」て心の底から思いました。

ちゃんと歩いたのは2歳直前だった気がします。

 

 

でもしゃべりだしたら止まらない。

今度はしゃべりだしたら止まんねー状態になっていったのです。

「ママーこの電車知ってる?これはねー◯◯電車だよ!」

そしてスタスタ歩いても絶対に遠くに行かない、よくある男の子の危ないことしちゃうのとか走って何処かに行くなんて絶対にやらないのです。

 

「おはようございます」とかいきなり妙に大人びた挨拶をするので

「賢いねーいい子ねー」なんて近所のおばあちゃんなんかによく言われていました。

 

公園で出会う同じくらいの歳の子とは一応?遊んでいた感じではありました。

砂場でひたすら型抜きをしていたような?

あとはミニカーを並べまくってました。

たまたま同じような感じの男の子がいて、周りで元気な女の子が走り回っている中で、黙々と並2人でべ続けていました笑

 

滑り台は怖がって近づくこともなく、幼稚園に入っても滑り台では絶対に遊びませんでした。

最終的に滑り台で遊んだのはなんと卒園間近でした。

 

預かり保育ママの意味深な言葉

そんな頃、実家の兄が入院することになり私もお見舞いに行くことが増えたので

市の子育てサポートに登録し子供を預かってもらうことにしたのです。

市が近所の預かってくれる保育ママを紹介してくれるシステムです。

ちゃんと市で勉強をし講習会で認証された方なので安心して預けることができます。

 

 そこでとても素晴らしい方に出会うことができ、安心して預けることができました。

迎えに行くといつも「とてもいい子だったわよー」と笑顔で言ってくれました。

変わった子だと思われつつあった時に心の底から笑顔で「いい子だった」と

言ってくれることは私にとって大きな励みだったのです。

 

その方に預け、迎えに行ったある日

「私は実は引っ越すことになったの。もう預かりママはできなくなってしまいます」

と話し出しました。そして

「最後かもしれないから言っておくわね、

この子は小学校で苦労すると思う。

でもあなたは間違っていないから決して負けないでね」

とおっしゃったのです。

 

もうやめるということのショックで驚いて泣きそうになって

しまったのですがこの時は「わかりました」と返事をしました。

  

そして小学校に入った時、この方の言葉が頭によみがえることとなります。

 

 

その頃幼稚園選びがスタートしました。

住んでいる地域は幼稚園激戦区だったのです。

 

シュタイナー教育をやっている10人位くらいしかいない小さな園か、

送迎バスが何台もガンガン走って

給食も作ってくれてものすごい人数の園にするかを悩みました。

 

小さな園で、じっくり見てもらうのは魅力的でした。

見学したらみんな穏やかそうだったし、かなり遠くから通っている子もいるようでした。

絶対ここが良さそうなのですが、なぜ近所にある大きな幼稚園と悩んでしまったのです。

 

なぜ悩んだか。

大きな園の方が多人数の方がいろんなタイプの子がいて、却って息子が居場所を探しやすいんじゃないかなと思ったのです。

あの子とはだめでもこの子なら気があう、と友達関係や遊びの幅が広がるんじゃないかと。

 

最終的には大きな園を選ぶのですがこの選択は間違っていませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

乳幼児の頃②歩くのもしゃべるのもお断りです。

1歳近くになっても歩かない喋らない!指差し?しませんよ!

1歳を過ぎるとそろそろもう歩いてもいいんじゃないかなーという頃なのですが、

ひたすらはいはいしかせず、立ち上がっても歩き出しませんでした。同じくらいの月齢の子はガンガン歩いている子が多くて、それをはいはいで気が向いたら追っていくという感じ。あまり他の子には関心がないようでした。

そして意味のある言葉は出てこなくて、あーとかいつも言っていたような。

まんまって言った?言った?レベルでこれもまた心配でした。

これなーに?これが欲しい!と指差しをする子も増えてくる時期ですが、指差しはほとんどしませんでした。一度だけ靴についている熊の絵を「あーっ」といって指差したことがあり、まあ一回やったからいいか、と思いました。

たまたま他の子を見るともっと指差しまくっていて、あ、これが本当の指差しっていうやつね、と驚いてしまいました。

欲しいもの、して欲しいこと、その時は私の腕を引っ張ったり、指を持ったり。

これはクレーン現象じゃないかと。

これも自閉症の子に多い現象で、人の手をクレーンのように使って自分のやりたいことを伝える行為です。

ああ、やっぱり来たなあと思いました。

 

市の体重測定や相談に度々出かける

家だと正確な体重や身長が測れないのもあって、市の無料の検診にちょくちょく行っていました。そこはちょっとゆるい感じで、赤ちゃんが遊ぶ場所もあり、保健婦さんと気軽に話せるところなので結構頼りにしていました。

ある日、体重測定に行ってみると、そこの保健婦さんになんと高校時代の同級生が。嬉しかったです。本当に頼りになりました。

彼女に実はちょっと心配なんだ、おもちゃを並べたり、電車に夢中になりすぎたり、どこか違和感があるんだよねーと相談しました。

答えはもちろん大丈夫大丈夫、でした。

その時の心配事は、むしろあまり食べなくて痩せ気味ということだったので

その答えで安心していました。あとはもう少し食べてくれるといいなあ、と。

ちなみにその同級生はその後保健婦の仕事を辞め、その後突然他界してしまいました。

もう一度会って、あの時は励ましてくれてありがとうって伝えたかったです。

本当に残念です。

 

1歳半検診では無言を貫き通す。積み木なんて一切拒否。

自治体の1歳半検診では、指差しができるかとか積み木を積めるか、おしゃべりするか、のようなチェックもありました。

ただひたすらニコニコして、問いかけには一切答えず無言を貫き通しました。

積み木には手を触れずに終わりました。積み木、家ではちょっとはやっていましたよ!

本当に!

でも検診では全くやりませんでした。

全く喋らなかったので、様子を後で知るためにも連絡しますね、と言われました。

 

なんだか重たい気持ちで家に帰ったことを覚えています。

 

 

乳幼児の頃①人見知りなんて知りません!

何かがよその子と違う気がする乳幼児のとき

息子は帝王切開で生まれましたが特に大きな問題もなく、

育っていました。

ミルクを飲む量が微妙に少ない気がしましたが・・・

 

人見知りをしない!全然しない!

あとはあまり泣きまくって困らせることもあまりなく、なんて育てやすいんだと

思っていました。とにかくいつもご機嫌。

気になったのは人見知りをあまりしなかったこと。

確かに不快なこと(オムツとか空腹とか)では泣くんだけど、

知らない人に抱っこされても平気な顔なんだなあー。

泣かない!本当に平気な顔している。

検診した病院でそのことを話したら、看護婦さんがうちの子を抱いて

「お母さん外出てみて」というのでやってみたら少しだけ不安そうな顔をしました。

「ほら大丈夫、表現の仕方はいろいろだから。人見知りしてるわよ」と

言ってくれたのでその時は安心しました。

何かと笑う子だったし同じ月齢くらいの赤ちゃん見ると喜ぶし、

まあこんなものかなあと。

 

 

並べる並べるー!

少し大きくなって、一人遊びなんかもするようになるとおもちゃを並べるんです!

縦に、それは几帳面にまっすぐに。いろいろなものを並べていたけれど主にミニカーを並べていたかな?畳のヘリに沿ってとか。

毎日夢中になって並べていたと思います。

子ども自身の思う規則性というか信念があって

並べている感じでした。

これは自閉症の子によく見られる行動と言われています。

もちろん自閉症ではない子どもも並べます。

 

夢中になって並べている姿は、微笑ましくもあり、少し不安でもありました。

 

電車に夢中

そして大好きなのは電車。歩く前から大好きでした。生後6ヶ月くらいから電車に乗ると興奮していたと思います笑

線路脇や踏切に行くと電車を眺めるというより興奮状態で見ているので納得するまで帰らずにずっと眺めていました。男の子は誰しも電車が好きなので、これはそれほど心配ではなかったかな?

しかし、8ヶ月くらいの頃か「ンフっンフっ」という咳払いみたいなおかしな声をずーっと出しているので風邪でもひいたかと小児科に行ったら診た先生は

「んー特に何もないけどなあ。喉も赤くないよ」と。

それが電車の音の真似だったと気付いたのは、再び電車を見せた時でした笑

笑、はいまだからつけられます、本当に。ママ〜という前にこれかあと思いました。

電車の音の真似「ンフっンフっ」を言いながら夢中になって見つめていたのでした。

 

この時、家族や友人などになんかちょっと不安なんだよね、と話しても

えー大丈夫でしょとか、うちもやるよとかみんな言ってくれていました。

なるべく不安なことは考えず、育てるようにしていたのですが

なんか変だよなあーという気持ちはなかなかぬぐえなかったのです。

 

 

 

発達障害「アスペルガー」のグレーゾーンと診断された息子の成長の日々を母が綴ります

2、3歳の頃に、んー少し変わった子だなあと思いつつ子育てしてきて

幼稚園でなんかあれ?随分変わった子じゃないか?と思い始め

小学校でついに確信を・・・

 

低学年の頃は入学直後からほとんど学校に行けず、行けても保健室で過ごしていた息子。玄関からは一歩も出られず、泣いて泣きまくっていました。

私は仕事を辞め、なんでうちの子は学校に行けないのかと悩み、毎朝息子をなだめ、そして叱る。ダメだとわかっていても怒ってしまう。

昼間は本来なら学校へ行ってるはずの息子と過ごさなくてはいけない。

あらゆるところに相談し、夜はネットサーフィンをして、あらゆる本を読みあさり。

そして泣く。そんな日々を過ごしていました。

 

本当に一番辛かったのは当の本人である息子。

 

アスペルガーのグレーゾーン」だと診断を受けるまで、そして受けてから学校に行ける日まで、ようやく学校に行けるようになってからも次々と起こるトラブルやらなんやら。発達障害グレーゾーンならではの厄介なところも多々あります。

 

でもまあしんどかったけれど、この日々があったからこそ今がある、です。

今はなんとも元気に学校に通う高校生男子に成長しました!

 

そんな長くて暗いトンネルをなんとか抜けだす日までを記録しておこうと思います。